どうしたところで、人間は孤独なのだから。
あなたはたまたま、そのことにはっきり気づいただけです。
引用:『孤独論』第3章 孤独であること
芥川賞作家である田中真弥さんの『孤独論』を読んだ。
著者は、高校卒業後15年間の引きこもり生活を経て作家となりました。そんな「孤独」にとことん向き合った人間の自伝的エッセイです。
「孤独」っていうと、寂しいとか、ツマラナイとか、ネガティブなイメージがあります。
一人で時間を持て余すと、それがダメなことのように思えてきて、SNSを開いて人と繋がっていようとしたりして…
本書では、そんな無理やり孤独を遠ざけようとする行動に対して「それってどうなの?」と異を唱え、「孤独であることの大切さ」が書かれていました。
「人は孤独だ」という前提を受け入れると楽になる
誰かと一緒にいても、みずからの心の内をよくよく覗き込めば、そこには孤独拡がっているものです。
それが恋人だろうと家族だろうと、どんなにくつろげる相手といたところで、根本的に孤独は解消できない。
だからこそ、だれかと一緒にいたいと切実に思う。一緒にいても孤独は解消されないとわかっているのに、もっと一緒にいたいという思いが募る。
そもそも、孤独を全く感じないということは誰にもできないとのこと。
だから、独りになることをむやみに恐れたり、無理やり人と繋がろうとしなくてもいいんだよ、と書かれています。
LINEやTwitterで常に人と繋がっていることは孤独感を紛らわせてくれるけれど、同時に余計なストレスもついてきますよねー…。めんどくさい。それでもやってしまう。
そもそも日本社会そのものが、ひとつの共同体や同じ価値観に属するのを強いていて、つまり孤独を回避する力学で成り立っているので、おのずと孤独には後ろめたさが伴うように仕向けられてもいるのです。
孤独感があることを受け入れてしまえば、SNS疲れや、リアルの人間関係でも消耗することも少しは減るんじゃないかなと思います。
ひとりの時間を大切にしよう
孤独を拒んでなしえることなど、なにひとつありません。自分のやりたい道に舵を切れば、必ず孤独に直面します。
そこは耐えるしかない。そして耐えられるはずです。孤独になるのは当たり前のことなのですから。
田中慎弥さんが15年間孤独でいることができたのは、「書くこと」という心からやりたいことがあったからでしょうね。
とりあえず本読んで書いときゃなんとかなるだろ、と過ごしていたそうです。鋼のメンタル。
高校卒業後、部屋の窓から見える風景を描写することから始めたとのこと。
仕事、勉強、趣味の上達、資格取得、ダイエットなどなど。ひとりの時間を大切にすることで、自分のなりたい姿に近づけるんだと思います。
「棚ぼた理論」で生きる
15年間引きこもって書き続けるというのは凡人からしたら想像もできませんが、著者がそれができたのも「人生とは棚からぼた餅だ」という考えで生きていたから。
棚の上にぼた餅があることに気づき、その下に移動して皿を構えるくらいのことはやれるはずです。それもやらないようでは怠慢と言われても仕方がない。(略)
そのぼた餅は、他の人からすれば「ないじゃないか」という、自分だけの幻想のぼた餅かもしれないが、それでもかまわない。そこに行って、皿を差し出すということ、その努力すらしないで、漠然と不満だけ募らせている人が多いように思います。
「ぼた餅が落ちてきたらラッキ~」と脱力した感じでいれば、何事も続きやすいんじゃないでしょうか。
ひと握りの大天才、モーツァルトや、陸上のウサイン・ボルトのような人は、棚の上に乗っかって自分で餅をひったくってくるのでしょう。そうでない凡人でも、しかるべき場所で、きちんと準備をして待てば、落ちてくる餅を手にすることはできます。
最後に
『孤独論』というタイトルからして厭世的な内容を想像しますが、わりとポジティブでした。もともと一人で過ごすのが好きな性分なのですが、この本を読んだことで、別にそれでもいいんだなと思えました。
「孤独」以外にも、「仕事」「人生」「情報社会」「読書」などについて、ちょっと変わり者な芥川賞作家の視点から書かれていて面白かったです。